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島津源蔵、鉛蓄電池を開発

島津源蔵(二代目・幼名は梅太郎)は、1897年に京都帝国大学の理工科大学から注文を受けて鉛蓄電池を作製し、これは後に改良され「GS蓄電池」(GSは島津源蔵(Genzo Shimazu)の頭文字から)となった。この蓄電池は日露戦争で徴発されて軍艦和泉でも使用され、1905年(明治38年)5月27日の日本海海戦では信濃丸から「敵艦見ゆ」の第一報を受けて旗艦の三笠に送信する歴史的役割を支えた。